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ファミコンが姿を見せたのは1983年(昭和58年)のことである。
それまで家庭用ゲーム機というものはなく、ゲームといえば任天堂のゲームウォッチとゲーセンが主流だった。
双方とも僕らを魅了するには十分なアイテムだったが、当時は深刻な問題をかかえていた。
「これは時計なんだ」と言い張って買ってもらったゲームウォッチを思い出してくれ。
たとえ飽きても次の新作を買ってもらうことはできない。
なぜか?時計は2個いらないというのが親の言い分だからだ。
つまり、2個以上入手するには卓越したプレゼン能力が問われることになる。
一方、下町の錬金術師たちがこぞって開店させたゲーセンは異様なほど効率の良い集金システムであった。
僕らの貴重な小遣いを数十分で巻き上げ、刺激を求めてやまないギャラリーをも巻き込んだ。
そして気づいたときには、帰りの電車賃すらなくなっていることも少なくなかった。
この不遇な時代にひと筋の光明をもたらしたのがファミコンである。
ゲーセンのゲームが家で遊べて、ゲームを入れ替えることもできるという画期的なものだ。
「ありえない」当時は誰もが自分の目と耳をうたがった。
家にいながらゲーセンなんて誰も予想していなかった。
お茶の間のテレビにゲームが映し出されるという衝撃は、ゲーセンの呪縛から僕らを解放してくれたのだ。
「ファミリーコンピューター」という絶妙なネーミングにも頭がさがる。
当時「コンピューター」といったら最新技術を結集したハイテクマシンを思い浮かべ、 一般の人が買える代物ではないと思っていた。つまりオモチャではないのだと。
「コンピューター」というネーミングが大人たちの財布のヒモを緩め、 たかがゲームという先入観を取り払ったといえよう。
しかも、本体のカセットを入れ替えることで、違ったゲームが好きなだけできるという機能をわかりやすく広め、 カセットの購入意欲に拍車をかけたのであった。
最後に忘れてはならないのが、ファミマガという日本初のファミコン雑誌の存在だ。
ゲーム情報誌といえば今はファミ通かもしれないが、当時はファミマガだった。
マニアはもちろん、ゲームで遊ぶことの少ない一般市民にも需要があり、受け入れられた。
その理由のひとつにインターネットの普及率があげられる。
インターネットのない時代では、攻略情報や新作情報を知る手段があまりに少なく、攻略においてファミマガの右にでるものはなかった。
また、裏技(ウルテク)コーナーでは、バグを利用したテクニックや隠しアイテム、高価なファミコンソフトをやり込むための情報が人気を集めた。
ゲーム画面を合成し、本物と見分けがつかないウソテク(ウソの裏技)なるものまで現れ、そうとは知らない僕らの貴重な時間を奪っていった。「あるといいながある」それがウソテクの正体だった。
やがてハードの多様化(プレイステーション、セガサターンなど)で任天堂のハードが劣勢になるとファミマガは衰退し、 総合ゲーム情報誌にいち早く対応したファミ通がシェアを奪う形となった。
ファミマガの休刊が余儀なくされた背景には、徳間書店の経営危機とプレイステーション(sony)がスーパーファミコン、NINTENDO64(任天堂)のシェアを抜いたことによるものが大きい。
任天堂のハードを中心に扱っていたファミマガにとって、これは致命的であった。
かくして様々なドラマを生んだ日本の家庭用ゲーム文明がここに誕生したのである。
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